
2026.10.14
シリーズ「お墓は、命のバトン」。「名もなき兵士などゐない」。では、あなたの曽祖父の名前は?

あなたの曽祖父の名前を、フルネームで言えますか。
言えないとしたら。
あなたの家には、名前を知られていない人が、もういるということです。
その人は、決して、「名もなき人」ではなかったはずです。
誰かに名前を呼ばれた。
誰かを愛した。
誰かのために働いた。
嬉しい日も、悔しい夜もあった。
あなたと同じように、たった一度の人生を生きた人です。
なのに、いつからでしょう。
その名前を、誰も呼ばなくなったのは。
十月十二日の『読売俳壇』に、胸を突かれる一句がありました。
コスモスや名もなき兵士などゐない
長崎県対馬市、神宮斉之さんの作品です。
何度も、読み返しました。
「名もなき兵士などゐない」
この「などゐない」が、胸の奥に、深く刺さりました。
名もなき兵士など、いない。
どの兵士にも、名前があった。
母が呼んだ名前。
友が呼んだ名前。
愛する人が、最後まで忘れなかった名前。
帰りを待つ人がいた。
帰りたかった家があった。
生きたかった明日があった。
その一人ひとりを、私たちは、ひとまとめにして、「名もなき兵士」と呼んでしまう。
もちろん、戦争によって、名前も記録も失われた人たちがいます。
けれど。
名前が分からないことと、その人に名前がなかったことは、違う。
私には、この句が、一人ひとりの人生を忘れてはならないという、静かな呼びかけに聞こえました。
そして、ふと考えたのです。
これは、遠い戦場だけの話だろうか。
実家の仏間を、思い出してください。
鴨居に、白黒の写真が並んでいませんか。
軍帽をかぶった、若い男の人。
少しこわばった顔で、まっすぐ、こちらを見つめている人。
あの人の名前を、言えますか。
言えないとしたら。
「名もなき兵士」は、遠い戦場の向こうだけにいるのではありません。
あなたの家の、すぐ頭の上にもいる。
何十年も、そこにいたのに。
私たちは、その名前を、一度も聞いたことがないのかもしれません。
そして、その人が何を大切にし、どんな人生を生きたのかも。
忘れられたのは、名前だけではない。その人が生きた、物語なのです。
そして、ここからは、少し痛い話をします。
いつか、あなたも、忘れられる側になるかもしれません。
いま、あなたが曽祖父の名前を知らないように、あなたのひ孫も、あなたの名前を知らないかもしれない。
古いアルバムを開いて、笑っているあなたの写真を指さす。
「ねえ、この人、誰?」
誰かが答えます。
「さあ、誰だったかな」
それだけです。
一生懸命に働いたことも。
家族のために眠れなかった夜も。
誰かを守ろうとしたことも。
写真には、写っていません。
やがて、アルバムが閉じられる。
あなたという人生が、「誰だっけ」の一言で、通り過ぎてしまうかもしれないのです。
十月の墓地。
風に、コスモスが揺れています。
墓石の前で、小さな子どもが、しゃがみこむ。
石に刻まれた文字を、指で、ゆっくりとなぞる。
「これ、だれ?」
あなたは、答えられません。
「……あとで、お父さんに聞こうか」
子どもは、もう聞いていません。
石の向こうを、赤とんぼが一匹、横切っていきます。
「あとで」
この三文字ほど、静かに大切なものを失わせる言葉があるでしょうか。
聞ける人が、まだいる。
そのことが、どれほど恵まれた時間なのか。
私たちは、失ってから気づくことがあります。
私たちは、元禄十五年、一七〇二年から。
三百二十四年、石と向き合う仕事を続けてきました。
石に、名前を彫ることはできます。
百年先に残る文字を、刻むこともできます。
けれど。
石に名前は刻めても、その名前を呼ぶ声までは、刻めません。
墓石に名前があっても、訪れる人が絶え、縁をつなぐ人もいなくなれば、そのお墓は、やがて「無縁」と呼ばれることになります。
名前は、ある。
生きた証も、ある。
なのに、その名前を呼ぶ人がいない。
名前はあるのに、名もなき石。
石屋として、これほど切ないことがあるでしょうか。
だから、私たちが守りたいのは、石だけではありません。
お墓という場所だけでもありません。
その石の前で、誰かが、誰かの名前を呼ぶ。
「この人はね、こんな人だったんだよ」
そう言って、ひとつの人生が、次の世代へ語られていく。
そんな時間を、守りたいのです。
名前を残すのが、石屋の仕事。名前の向こうにある人生をつなぐのが、私たちの使命です。
考えてみれば、名前を覚えることは、入口にすぎません。
もっと大切なのは、その人が、どう生きたかを知ることです。
何を大切にしたのか。何に苦しみ、何を乗り越えたのか。
誰に優しくされ、誰に優しさを手渡したのか。
その話を聞いた子どもが、いつか同じように、困っている誰かに手を差し伸べるかもしれない。
顔も知らない曽祖父の生き方が、百年後の誰かの選択を、支えることだってあるかもしれない。
そう考えると、命のバトンとは、血のつながりだけではないのだと思います。
命は、誰かの身体ではなく、生き方の中で受け継がれる。
私は、そう信じています。
お墓は、亡くなった人のためだけにあるのではありません。
そこに立つ、生きている人のためにもある。
自分の命が、どこから来たのかを知る。
誰から、何を受け取ってきたのかを知る。
そして、これから誰に、何を手渡すのかを考える。
お墓とは、人生の終着点ではなく、命のバトンを受け取る場所でもあるのです。
だから、今日です。
もし、曽祖父や曽祖母の名前が、すぐに出てこなかったら。
今夜、親や親戚に、電話してみてください。
聞くのは、たった一言。
「ひいおじいちゃんの名前、なんだっけ?」
そして、できれば、もうひとつだけ。
「どんな人だった?」
たった、それだけでいいのです。
もし、もう聞ける人がいなければ、古い写真や、位牌、家に残された記録を確かめてみてください。
すべてが分からなくても、かまいません。
まず、知ろうとする。
そこから始まります。
名前が分かったら、一度、声に出して呼んでみてください。
そして、その人の生き方を、ひとつだけ、心に残してください。
名前を知る。
名前を呼ぶ。
その人の物語を、誰かに話す。
それだけで、昨日まで「知らない人」だった先祖が、少しずつ、自分の人生とつながっていきます。
忘れてしまったことを、責めたいのではありません。
今日から、思い出せる。今日から、つなぎ直せる。
そのことを、伝えたいのです。
聞ける人がいるうちに、聞く。
語れる人がいるうちに、語ってもらう。
そして、自分が受け取ったものを、次の誰かに手渡していく。
生きているうちに、自分の名前を朱で墓石に刻む習わしがあります。
その朱が、いつか消される日。
そこに、誰かが立っている。
その誰かが、ただ名前を眺めるだけではなく、
「この人はね……」
そう言って、あなたの生き方を語ってくれたなら。
どれほど、幸せなことでしょう。
けれど、その未来は、石に名前を彫るだけでは生まれません。
あなたが今日、誰かの名前を呼ぶところから始まるのです。
五十年後。
古いアルバムを開いた子どもが、あなたの写真を見つけます。
「ねえ、この人、誰?」
そのとき、誰かが答える。
「この人はね……」
そして、あなたの物語が始まる。
どんな人だったのか。
何を大切にしていたのか。
どんなふうに、人を愛したのか。
あなたの名前とともに、あなたの生き方が、次の世代に手渡されていく。
その子がいつか、あなたと同じように誰かを大切にする。
それが、命のバトンです。
コスモスが揺れる、あの一句を思い出します。
名もなき兵士などゐない。
名もなき先祖など、いない。
そして。
名もなき未来のあなたも、いない。
あなたが今日、誰かの名前を呼ぶ。
その声を、誰かが聞いている。
命は、そうやって、人から人へと受け継がれていくのだと思います。
それが、お墓参りの中にある、いちばん明るい未来です。
お墓。それは、今日を笑顔にするもの。
それは、明日を元気にしてくれるもの。
おかえりなさい。
秋の夜長。
あなたの声で呼ばれる名前が、ひとつ増えますように。
そして、その名前とともに、ひとつの生き方が、未来へ渡りますように。

石の個性と、家族の物語をつなぐ。
命のバトンを未来へつなぐ伴走者
射場石利石材株式会社
六代目当主 射場一之
【基本情報】
所在地:大阪府茨木市新和町16番19号
電話番号:0120-148-183
営業時間:8:00~18:00
定休日:年末年始のみ
メール:[info@iba.co.jp](mailto:info@iba.co.jp)
LINE:https://line.me/R/ti/p/@582fiyxj
【資格】
◇ 大阪府知事許可(般-4)第87663号
◇ 労働大臣認定 1級技能士石加 第84号
◇ 経済産業省公認 石匠位認定 第89001号
◇ お墓ディレクター1級 05-100101-04
◇ 建築石材アドバイザー 222034
◇ 相続診断士 20333425
◇ 終活ガイド 00005872
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