射場石利石材株式会社

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2026.10.15

父を失った「9歳」が、30年後、目の前で笑っていた。――シリーズ「お墓は、命のバトン」

 

 

墓石には、刻まれない年齢があります。

 

亡くなった人の年齢ではありません。

 

残された人が、その日、何歳だったか。

 

9歳でした。

23三歳でした。

40を過ぎていました。

 

葬儀の段取りは忘れても、その歳だけは、忘れられない人がいます。

 

誰にも話さないまま、何十年も持ち歩いている数字。

 

そして、人生のある夕方。

 

その数字が、ふいに目の前に現れることがあります。

 

自分の子どもの姿をして。

 

笑いながら。

 

何も知らない顔をして。

 


 

10月12日の読売歌壇に、一首ありました。

 

朝霧市の桐島あおさんの作です。

 

影が長くなる夕方。

 

目の前の「きみ」が、詠み手が父親を失った、あのときの年齢を迎える。

 

過去と現在が、たった一つの年齢で重なる。

 

そんな一首でした。

 

作者の背景を、私は知りません。

 

ここから先は、その歌を読んだ私の想像です。

 

 

秋の夕暮れです。

 

墓地の砂利が、昼の熱をまだ少し残しています。

 

線香の煙は、風に押されて、斜めに流れています。

 

墓石の前に、三人。

 

白髪の人。

 

働き盛りの人。

 

そして、9歳の子ども。

 

西日が、三人の背中を照らしています。

 

長く伸びた影が、墓石の上に届きます。

 

小さな影も、ちゃんと届いています。

 

刻まれた名前の上で、三つの影が重なります。

 

誰も、何も言いません。

 

働き盛りの人は、石ではなく、子どもの横顔を見ています。

 

この子は、9歳。

 

30年前。

 

自分も、九歳でした。

 

父が、亡くなったときです。

 

あの日から、ずっと持ってきた数字。

 

9歳。

 

大人になっても。

 

働くようになっても。

 

親になっても。

 

心のどこかに、九歳の自分がいました。

 

父を呼んでも、返事がなかった日の自分が。

 

その九歳が、いま、目の前で笑っています。

 

けれど、この子は、あの日の自分ではありません。

 

いまを生きています。

 

これから、知らない景色を見ていく子です。

 

「ここに、おじいちゃんがいるの?」

 

子どもが、石を指さします。

 

答えようとして、声が出ません。

 

かわりに、白髪の人が言います。

 

「いるよ」

 

それだけです。

 

たった、三文字。

 

悲しみが消えたわけではありません。

 

30年前に戻れるわけでもありません。

 

それでも、その人の肩が、ほんの少し下がります。

 

長いあいだ、止めていた息を吐くように。

 

帰り道。

 

子どもが、白髪の人の手を握ります。

 

働き盛りの人も、子どものもう片方の手を握ります。

 

そのとき、ふいに思い出します。

 

父の手を。

 

道を渡るとき、いつも自分の手を握ってくれた、あの手を。

 

強く。

 

けれど、痛くないように。

 

いま、自分も、同じように小さな手を握っています。

 

30年たって、気づくのです。

 

父から受け取ったものは、9歳で終わっていなかった。

 

父の手は、もうありません。

 

けれど、父が教えてくれた手の差し出し方は、まだ、ここにある。

 

9歳という数字を、ずっと抱えてきました。

 

けれど、その数字の向こうには、失ったものだけでなく、受け取っていたものもあったのです。

 

三つの影が、帰り道をゆっくり動いていきます。

 


 

私たちは、元禄15年から、石を彫ってきました。

 

324年。

 

彫ってきたのは、名前です。

 

亡くなった年です。

 

生きた歳月です。

 

けれど、お墓の前に立つ人が持ってくるのは、石に刻まれた数字だけではありません。

 

あの人を失ったとき、自分は何歳だったか。

 

最後に交わした言葉は、何だったか。

 

あの人なら、いまの自分に何と言うだろうか。

 

石には刻まれていない、無数の記憶があります。

 

その記憶を、ひとりで抱えている人がいます。

 

だから、置ける場所をつくる。

 

誰かと並んで、思い出せる場所をつくる。

 

「どんな人だったの?」

 

「こんな人だったよ」

 

そんな会話が、何十年後にも始まる場所をつくる。

 

お墓は、亡くなった人を閉じ込める場所ではありません。

 

生きている人が、受け取ってきたものに気づく場所でもあるのです。

 

石は、人生の終点に置かれます。

 

けれど、そこから始まる会話があります。

 

そこから、次の世代へ渡っていく生き方があります。

 

命は、誰かの身体ではなく、生き方の中で受け継がれる。

 

それは、立派な教えでなくてもいい。

 

道を渡るとき、子どもの手を握ること。

 

人の話を、最後まで聞くこと。

 

困っている人に、声をかけること。

 

誰かを大切にする、その人らしい小さな仕草。

 

そういうものが、思いがけない未来で、もう一度生き始める。

 

私たちが石に名前を刻むのは、その人の人生を終わらせるためではありません。

 

いつか誰かが、その名前を呼び、もう一度、その人の生き方を語れるように。

 

そして、そこから、自分の今日を生きていけるように。

 


 

いつか、あなたを見送る人がいるかもしれません。

 

その人の心にも、ある年齢が残るかもしれません。

 

けれど、残るのは数字だけではないはずです。

 

今日、どんな声で名前を呼んだか。

 

今日、誰の話に耳を傾けたか。

 

今日、誰の手を握ったか。

 

何げない一日は、何も残さず消えていくように見えます。

 

でも、違うのかもしれません。

 

あなたの今日が、誰かの明日を支えることがある。

 

あなたの優しさが、何十年後、あなたの知らない誰かに届くことがある。

 

命のバトンは、死んだ日に渡されるのではありません。

 

生きている今日も、私たちは渡し続けているのです。

 

今度の夕方、影を見てください。

 

あなたの影は、どこまで伸びているでしょう。

 

その先に、大切な誰かの影が重なることがあるかもしれません。

 

そして、思い出してください。

 

影は、夕日が沈めば消えます。

 

けれど、今日、誰かに差し出した手の温もりは、その人の明日へ残っていくことがあります。

 

お墓。

 

それは、今日を笑顔にするもの。

 

それは、明日を元気にしてくれるもの。

 

おかえりなさい。

 

秋の夕暮れ。

 

あなたが今日、誰かに手渡した優しさが、いつかまた、別の誰かの手の中で生きますように。

 

 

石の個性と、家族の物語をつなぐ。

 

命のバトンを未来へつなぐ伴走者

 

射場石利石材株式会社

 

六代目当主 射場一之

 

 

 

【基本情報】

所在地:大阪府茨木市新和町16番19号

電話番号:0120-148-183

営業時間:8:00~18:00

定休日:年末年始のみ

メール:[info@iba.co.jp](mailto:info@iba.co.jp)

LINE:https://line.me/R/ti/p/@582fiyxj

 

【資格】

◇ 大阪府知事許可(般-4)第87663号

◇ 労働大臣認定 1級技能士石加 第84号

◇ 経済産業省公認 石匠位認定 第89001号

◇ お墓ディレクター1級 05-100101-04

◇ 建築石材アドバイザー 222034

◇ 相続診断士 20333425

◇ 終活ガイド 00005872

 

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