
2026.08.17
知らない人には譲れるのに、家族には譲れない。シリーズ「お墓は、命のバトン」(0left)

※本稿は、新聞に掲載された短歌を題材に、筆者の視点で再構成したものです。筆者自身の体験ではありません。
なぜ、家族にだけは譲れないのでしょう。
新聞に、こんな一首が載っていました。
バケツ手に狭い通路を譲り合う墓地は人がやさしくなる場所
墓地には、人ひとりがやっと通れるような、狭い通路があります。
そこを、水の入ったバケツを持った人が歩いていく。
向こうからも、誰かが来る。
すれ違えない。
だから、どちらかが半歩、身を引く。
すると、相手も半歩、身を引く。
目が合う。
小さく会釈する。
それで終わる。
名前も知らない。
二度と会わないかもしれない。
それでも人は、ほんの一瞬で、相手に「半歩」を差し出せる。
ところが。
家に帰ると、どうだでしょう。
たった一言。
たった一つの言い方。
たった一つの意見。
それだけで、譲れなくなる。
「いや、それは違う」
「だから、そうじゃなくて」
「いつもそうやって言うよね」
……ほんの半歩で済むことなのに。
なぜ、家族には譲れないのでしょうか。
考えてみると、不思議です。
墓地で出会う人は、何をしている人なのかが見えます。
バケツを持っている。
花を抱えている。
お墓を掃除している。
誰かを想いながら、そこへ来ている。
つまり、相手が「何のためにここにいるのか」が見えるわけです。
だから、敵に見えない。
争う必要もない。
けれど、家族は違う。
食卓の向こうに座っている人が、今日、どんな一日を過ごしたのか。
何に傷ついたのか。
何を我慢しているのか。
何を守ろうとしているのか。
それが、見えなくなることがあります。
見えなくなると、人は相手を「人」ではなく、「自分を否定する存在」として見てしまいます。
だから、半歩が引けない。
でも。
ここで、墓地の通路を思い出したい。
半歩とは、「負ける」ことではありません。
「相手が正しい」と認めることでもない。
ただ、「ここは、争う必要がない」と、自分の身体で伝えることなのかもしれない。
お墓という場所には、不思議な力があります。
そこでは、人は少しだけ静かになります。
少しだけ素直になる。
そして、誰かの人生を思う。
だからこそ、墓地で譲れた「半歩」は、墓地だけに置いて帰るものではありません。
持ち帰っていいのです。
家族のところまで。
今日、家に帰って。
もし、言い返したくなったら。
もし、「自分のほうが正しい」と思ったら。
ほんの少しだけ、身体をずらしてみる。
言葉を一つ、飲み込む。
相手の話を、最後まで聞く。
先に「そうだったんだね」と言ってみる。
たった、それだけでいいのです。
墓地で見知らぬ誰かに差し出せた半歩なら、大切な人にも、きっと差し出せる。
そして、その半歩の先にあるのは、「我慢」ではありません。
「思いやり」でもない。
もっと大きなものです。
命を、次へ渡すこと。
私たちは、亡くなった人から、財産だけを受け継ぐのではありません。
家の中で交わされた言葉。
誰かを許した姿。
誰かのために身を引いた背中。
争うことより、つながることを選んだ生き方。
そういうものまで、受け継いでいます。
だから、命は、誰かの身体では終わりません。
誰かの生き方の中で、受け継がれていきます。
お墓は、死者のためだけの場所ではありません。
そこで思い出した生き方を、今日の暮らしへ持ち帰る場所でもあるのです。
墓地で譲れた「半歩」を、家に持ち帰る。
その半歩が、次の世代へ渡す「命のバトン」になる。
お墓。
それは、今日を笑顔にするもの。
それは、明日を元気にしてくれるもの。
おかえりなさい。
夕暮れの蝉の声が、少しずつ和らいでいく頃。
あなたが今日、大切な人へ、ほんの半歩を差し出せますように。
命は、誰かの身体では終わらない。
誰かの生き方の中で、受け継がれていく。
お墓は、命のバトン。

命のバトンを未来へつなぐ伴走者
射場石利石材株式会社
六代目当主 射場一之
【基本情報】
所 在 地:大阪府茨木市新和町16番19号
電話番号:0120-148183
営業時間:8:00~18:00
定 休 日:年末年始のみ
メ ー ル:info@iba.co.jp
L I N E :https://line.me/R/ti/p/@582fiyxj
【資 格】
◇ 大阪府知事許可(般-4) 第87663号
◇ 労働大臣認定 1級技能士石加 第84号
◇ 経済産業省公認 石匠位認定 第89001号
◇ お墓ディレクター1級 05-100101-04
◇ 建築石材アドバイザー 222034
◇ 相続診断士 20333425
◇ 終活ガイド 00005872
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