
2026.10.22
母は死んだ。でも、あの唐揚げは、まだ生きている。――シリーズ「お墓は、命のバトン」

母の唐揚げを、あなたは覚えていますか。
衣の厚み。
噛んだ瞬間の、あの音。
生姜が鼻に抜ける、一瞬。
醤油の濃さ。
台所から聞こえてきた、油のはぜる音。
「おいしかった」
その記憶は、今もある。
けれど。
「どんな味だった?」
そう聞かれたとき、言葉に詰まる日が来るかもしれません。
レシピなら、書き残せます。
でも、あの味のすべては、書き残せない。
母の手つきも。
火を止める、あの絶妙な間も。
家族が帰ってくるのを待ちながら、揚げていた時間も。
記憶は、少しずつ薄れていきます。
それは、悲しいことです。
けれど。
忘れていくことと、失われてしまうことは、同じではありません。
そこに、命のバトンの秘密があります。

小説『月がきれいな夜に、誰かに思い出してほしかった』に、亡き母の唐揚げの味を引き継いだ人物が登場します。
その味を、フードフェスで、たくさんの人に届けているのです。
油が、はぜる。
紙皿の上で、湯気が踊る。
行列の先で、知らない誰かが、ひと口かじる。
そして、目を丸くする。
母に会ったこともない人が、母の味を知る。
その人の記憶に、ひとつ、新しい「おいしい」が刻まれる。
もうこの世にいない母の味が、知らない誰かの明日の記憶になる。
不思議なことです。
母は、もういない。
なのに、母から受け継いだものは、今も誰かの中で生きている。
その人物は、父親に伝えます。
今日、来てほしかったのは、見てほしかったからだ、と。
母にもらった味を、
「誰かの記憶のなかに、残そうとしているところを。もがいているところを」
もがいているところを。
この言葉に、私は立ち止まりました。
うまくいったところ、ではありません。
成功したところ、でもありません。
もがいているところを、見てほしかった。
きっと、ここに大切な何かがある。
受け継ぐとは、完璧に再現することではない。
失いたくないもののために、不器用でも、手を動かし続けること。
その生き方こそが、受け継がれていくのではないでしょうか。
十月の終わり。
お墓の石は、朝の冷えを、まだ抱えています。
柄杓の水が、石の表面をゆっくり滑る。
線香の煙が、まっすぐ昇り、途中でふっと崩れる。
あなたの隣に、小さな子が立っています。
その子は、石に刻まれた名前を指でなぞりながら、尋ねます。
「おばあちゃんは、おかあさんの何が好きだったの?」
「唐揚げ。すごくおいしかったよ」
「どんな味?」
あなたは、言葉を探します。
あんなに食べたのに。
あんなに好きだったのに。
その味を、この子に、どう伝えればいいのだろう。
石には、過去の名前が刻まれている。
柄杓を持つあなたの手には、今日がある。
そして、小さな子の問いかけには、まだ見ぬ明日がある。
過去と、現在と、未来。
三つの時間が、お墓の前で、ひとつになります。
ここで、私は思うのです。
お墓は、亡くなった人を思い出すためだけの場所ではない。
亡くなった人から受け取ったものを、次の命へ手渡す場所でもある。
石の前に立つとき、私たちは過去を見つめています。
けれど、その隣には、いつも未来が立っているのです。
三百二十四年、私たちは石を彫ってきました。
名前を刻むたび、思います。
いつか、誰かがこの名前を呼ぶ。
その人が生きていたことを、思い出す。
そして、また自分の暮らしへ帰っていく。
石は、黙っています。
味を伝えることも、声を聞かせることもできません。
それでも、石に刻まれた名前が、人の記憶を呼び起こすことはある。
忘れかけていた笑い声。
一緒に歩いた帰り道。
何度も作ってくれた、あの料理。
石は、命を閉じ込めるためにあるのではありません。
生きている私たちが、もう一度、その人と向き合うためにある。
お墓は、命の終着駅ではない。
受け継いだ命が、もう一度動き始める場所なのです。
その夜。
あなたは、台所に立ちます。
母の唐揚げを、作ってみようと思ったのです。
醤油を入れる。
生姜をすりおろす。
鶏肉を揉み込む。
油に落とす。
ジュワッ。
あの音がします。
けれど。
醤油が濃すぎた。
生姜が足りない。
揚げすぎて、少し黒くなった。
母の味には、なりません。
「ちゃんと聞いておけばよかった」
あの後悔が、菜箸の先で、細かい泡になって立ち昇ります。
ひとつ、かじる。
苦い。
それでも。
どこか懐かしい匂いがします。
遠い日の台所が、ほんの一瞬、帰ってきた気がします。
あなたは、もう一度、鶏肉を油に落とします。
今度こそ。
もう少し、生姜を。
もう少し、火を弱く。
もがいています。
うまく作れない。
それでも、手を止めない。
そして、ふと思うのです。
この姿を、母に見てもらいたかった、と。
上手にできた唐揚げではなく。
母から受け取ったものを、誰かに渡そうとしている、この姿を。
いつか、あの子が、もう一度聞くかもしれません。
「ひいおばあちゃんの唐揚げって、どんな味だったの?」
そのとき、あなたは、こう言えるかもしれません。
「まだ、うまく作れないんだ」
「でもね」
「今度、一緒に作ろうか」
……ああ。
これで、いいのだと思います。
母の味と、まったく同じでなくてもいい。
衣が厚くても。
醤油が濃くても。
少し、焦げてしまっても。
二人で台所に立つ。
失敗して、笑う。
もう一度、作る。
その時間が、次の人の記憶になっていく。
受け継ぐのは、味の正確さだけではありません。
誰かを思い、誰かのために、手を動かすこと。
あきらめずに、もう一度やってみること。
命は、誰かの身体ではなく、生き方の中で受け継がれる。
そして、受け継いだ命は、次の誰かの暮らしの中で、また新しい形になる。
お墓参りは、報告をするだけの時間ではありません。
うまくいった話だけを、持っていかなくていい。
まだ答えが出ていなくても。
まだ何も形になっていなくても。
もがいている自分のままで、会いに行けばいい。
「まだ、やっているよ」
「あなたにもらったものを、誰かに渡そうとしているよ」
そう、心の中で伝えられたら。
そして、お墓から帰ったら。
今度は、生きている誰かに、何かを手渡してみる。
それが、一皿の唐揚げでもいい。
ひとつの言葉でもいい。
あなたが受け取ってきた、小さな優しさでもいい。
命のバトンは、立派なものではなくていい。
渡そうとする、その手の中にある。
今夜、台所に立ってみませんか。
黒くなっても、いいのです。
誰かと、笑えたら。
もう一度、作ってみようと思えたら。
そのとき、あの人から受け取ったものは、確かに未来へ向かって動き始めています。
お墓。
それは、今日を笑顔にするもの。
それは、明日を元気にしてくれるもの。
おかえりなさい。
秋の夜長。
あなたの台所に、あの人の湯気が、もう一度立ちますように。

石の個性と、家族の物語をつなぐ。
命のバトンを未来へつなぐ伴走者
射場石利石材株式会社
六代目当主 射場一之
【基本情報】
所在地:大阪府茨木市新和町16番19号
電話番号:0120-148-183
営業時間:8:00~18:00
定休日:年末年始のみ
メール:[info@iba.co.jp](mailto:info@iba.co.jp)
LINE:https://line.me/R/ti/p/@582fiyxj
【資格】
◇ 大阪府知事許可(般-4)第87663号
◇ 労働大臣認定 1級技能士石加 第84号
◇ 経済産業省公認 石匠位認定 第89001号
◇ お墓ディレクター1級 05-100101-04
◇ 建築石材アドバイザー 222034
◇ 相続診断士 20333425
◇ 終活ガイド 00005872
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