
2026.05.26
「いただきます」の前に、私たちは何を見なくなったのか(70left)

スーパーの棚に並ぶ、透明なパック。
赤く整えられた肉。
白い発泡トレー。
値引きシール。
その中に、たしかに命があったことを、あなたは今日、一度でも想像したでしょうか。
……たぶん、していない。
私も、してきませんでした。
血の匂いは消されている。
体温もない。
鳴き声もない。
毛も、目も、ない。
「これは命だった」
そう感じさせる痕跡だけを、私たちは先に取り除いてもらっています。
だから、平然と食べられる。
古希を越えたある人が、幼い日の記憶を新聞に投書していました。
父が、鶏を捕まえた。
梅の木に逆さに吊るし、首を落とし、血を抜いた。
熱湯をかけ、羽をむしる。
子どもだった自分は、震えながら見ていたといいます。
残酷です。
けれど——
その記憶には、不思議な静けさがあります。
なぜか。
父が、命から目を逸らさなかったからです。
奪うことを、自分の手で引き受けていたからです。
命の終わりを、誰かに外注しなかったからです。
私たちは今、命の重さを感じないように生きることに、あまりにも慣れてしまいました。
食べることも。死ぬことも。
全部、“見えない場所”へ運ばれていきます。
葬儀も、そうです。
亡くなれば、すぐに連絡が入り、すぐに段取りが整う。
身体は清められ、白衣に包まれ、花に囲まれる。
私たちは、「手を合わせに行く人」になりました。
便利になった。
楽になりました。
そしていつの間にか、死の重さだけが、日常から消えていきました。
でも、本当は——
命を見つめない社会ほど、命を軽く扱います。
父の手が神聖だったのは、優しかったからではありません。
覚悟があったからです。
命の重さを、自分ごととして受け取る覚悟。
その覚悟は、きっと今の時代に、静かに失われています。
だから人は、どこかで空虚になる。
食べても満たされない。
便利なのに苦しい。
生きているのに、実感が薄い。
命に触れていないからです。
お墓は、その感覚を取り戻す場所なのかもしれません。
死者のためではありません。
生きている私たちが、命の重さを思い出すためにある。
あの石の前に立つと、人は急に静かになる。
背筋が伸びる。
そして、少しだけ呼吸が変わる。
「そのうちやろう」が消える。
代わりに、「今しかない」が、胸の奥で立ち上がる。
それは、悲しみではありません。
むしろ逆です。
誰かが生きた重さを受け取った瞬間、人は、自分の今日を生き始めるのです。
射場石利石材が石を刻むとき、つくっているのは、単なる形ではありません。
そこに刻んでいるのは、“命と向き合う時間”そのものです。
雨の日も。
霜の朝も。
何十年経っても、石は、そこにあります。
変わらず、黙って、そこにあります。
その沈黙が、人に問いかけるのです。
「お前は、ちゃんと生きているか」
「命を、今日、使い切っているか」
石は語りません。
けれど、語らないからこそ、聞こえる声があります。
墓前で聞こえるのは、死者の声ではないのかもしれません。
命そのものの声です。
お墓とは、死を閉じ込める場所ではありません。
生きる覚悟を、思い出す場所です。
「いただきます」
その一言の奥にある、命の重さを忘れないために。
今日を、ちゃんと生きるために。
青葉が風に揺れるこの季節。
あなたが手を合わせるその瞬間、きっと、あの人は帰ってきています。
私たちは、墓石を売っているのではありません。
「命は、受け渡されていく」
その事実を、人が忘れないための場所をつくっています。

射場石利石材
六代目当主 射場一之
【基本情報】
所 在 地:大阪府茨木市新和町16番19号
電話番号:0120-148183
営業時間:8:00~18:00
定 休 日:年末年始のみ
メ ー ル:info@iba.co.jp
L I N E :https://line.me/R/ti/p/@582fiyxj
【資 格】
◇ 大阪府知事許可(般-4) 第87663号
◇ 労働大臣認定 1級技能士石加 第84号
◇ 経済産業省公認 石匠位認定 第89001号
◇ お墓ディレクター1級 05-100101-04
◇ 建築石材アドバイザー 222034
◇ 相続診断士 20333425
◇ 終活ガイド 00005872
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