2018.12.12
魂入れ(開眼式・建碑法要・入魂式)はしないとダメですか?
時々、「まだ仏さんはいないので、魂入れ(=開眼式・建碑法要・入魂式)はしなくてもいいですよね?」と聞かれることがあります。
しかし、魂入れをしないと、正に「仏作って魂入れず」となってしまいます。
たとえ自家でお祀りされている仏さんがなかったとしても、魂入れはしてください。
なぜなら、私たちにはたくさんのご先祖さまがいるからです。
生きるということは、たくさんの“いのち”とつながりを持つことです。
家族は、私たちにとって最も身近な存在です。
しかし、私たちを支えているのは、いま一緒に暮らしている両親や祖父母、兄弟だけではありません。
一人ひとりの「いのち」は、遠い昔から大勢のご先祖さまによって受け継がれ、支えられてきたものです。
この、長いながい「いのちのつながり」について考えてみましょう。
10代遡ってご先祖さまの数を単純に数えると、1024人になります。
10代前までの累計ではなんと、2046人です。
「私」は父と母から生まれました。――ということは、「私」の半分は「父」であり、「母」であることになります。
同じように、父と母も、その半分はやはりその父であり母、つまり「私」から見ると「祖父」と「祖母」ということになります。
ゆえに「私」は「祖父」であり「祖母」でもあるわけです。
もっと言えば、1024人のご先祖さまでもあるということになります。
そしてもし、その中の一人でもいなければ、「私」はこの世に存在していないことになります。
仮に1代25年として計算すると800年で32代になります。すると、単純計算ではご先祖さまの数は42億9千万人にもなります。
だとすると、32代前までのご先祖様の累計は何百億人? それとも何千億人?
私たちの「先祖」は800年前にはこの世に存在しなかったのか?
もちろん、そんなことはありません。
800年前にも1万年前にも、間違いなく私たちの先祖はいたはずです。
100年前になって突然先祖が現れたわけではありません。
今ここに生きているというだけで、大変な数の人たちのお世話になっていることがわかります。
こうやって考えていくと、「いのち」はけっして「私」ひとりだけのものではないと思いませんか?
「いのち」は贈り物であり、そこからまた誰かに贈られていくべきものです。
「いのち」は親から子へ、子から孫へと絶えることなく受け継がれてきたものです。
父母が数限りない先祖たちから受け継いできたものが「私」のこの体、そして心の中に流れている――そうした実感は、何より私の心には「生きる力」を与えてくれます。
そして、受け継いだ「いのち」と「心」を子孫につないでいくという、自らの使命に気づいた時、ますます人生をしっかりと歩んでいこうという決意が私の心には生まれました。
「先祖がいたからこそ家族も自分も生まれてきたのです。感謝し、敬って当然です。暮らしを豊かにしたいなら『忙しい』を言い訳にせず、ぜひお墓参りをなさってください」――私は、お墓づくりに携わる者として、ひとりでも多くの方にそんなことを語り伝えたいと願っています。
射場石利石材では、お墓のことで真剣にお悩みの方であれば、たとえ他のお店のお客さまでも親身になってご相談に応じております。お気軽にお電話ください。
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