2025.09.02
造花でも、生花でも――大切なのは“誰を想って選んだか”。供養の心に、嘘はつけない。(319x left)
このブログは、
「お墓参りという習慣の根差した暮らしの豊かさ」
「お墓参りという習慣がないとどんな損をするか」
を、お伝えしたくてお届けしています。
一昨日の「よみうり時事川柳」にこんな句がありました。
「盂蘭盆会花もバナナもみなフェイク」
この一句に、思わず胸がざわついた方もいるのではないでしょうか。
お盆の墓前に並ぶ供物――色鮮やかな花、つややかな果物。
けれど、それらがすべて“フェイク”(偽物)だったとしたら?
それは、誰のための供養なのでしょうか。
そして、私たちは何を見て、何を感じて、何を祈っているのでしょうか。
かつて、祖母が手渡してくれた一輪の百合。
それは庭で咲いたばかりの花で、少し土の匂いがしていました。
「かっちゃん、枯れるからこそ、命の証や」と言って、祖母はその花を墓前に供えました。
その言葉が、今も胸に残っています。
もちろん、現代の暮らしには事情があります。
猛暑の中で生花はすぐに萎れてしまう。
遠方からのお墓参りでは、持ち運びの手間もある。
だからこそ、造花やブリザーブドフラワーが選ばれるのも自然な流れです。
それ自体を否定するつもりはありません。
また仏花としてふさわしい造花やブリザーブドフラワーもあります。
ただ、問いたいのです――その「選び方」に、心は宿っているか。
造花にも、魂を込めることはできます。
色合い、質感、故人が好きだった花の種類。
それらを丁寧に選び、供えることで、そこに“想い”が生まれます。
一方で、ただ「枯れないから」「手間がかからないから」といった理由だけで選ばれたフェイク供物には、どこか空虚さが漂います。
生花は、枯れます。
その姿は、命の儚さを教えてくれます。
咲き誇る一瞬の美しさと、やがて訪れる終わり。
それを目の前にすることで、私たちは「今を生きる」意味を深く感じるのです。
お墓参りは、ただの習慣ではありません。
それは、命の記憶をたどる旅であり、感謝の心を育てる時間です。
フェイクの供物が悪いのではなく、そこに込める“心”が問われのです。
もし、あなたが次にお墓参りをするとき――
ぜひ、供えるものを「誰のために」「何のために」選ぶのかを、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
それは、故人との対話であり、自分自身との対話でもあります。
そして、もし可能ならば、一輪でもいい。
生花を手にしてみてください。
その花が枯れていく姿に、命の尊さと、今を生きる力を感じるはずです。
お墓。
それは、今日を笑顔にするもの。
それは、明日を元気にしてくれるもの。
いってらっしゃい。
どうか、あなたの祈りが、やさしい風となって、大切な人のもとへ届きますように……。
射場石利石材株式会社
六代目当主 射場一之
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